千曲市議会 2020-12-08 12月08日-03号
唯一、私はこれが一番心配なんですけれども、今までも滅多に、この長野県千曲市に大きな被害を与えた台風というのは、今から60何年前の伊勢湾台風しかないんですよね。 それが近年、見てみますと、毎年のように、千年に一回と言われるような水害が全国各地で毎年起こっています。
唯一、私はこれが一番心配なんですけれども、今までも滅多に、この長野県千曲市に大きな被害を与えた台風というのは、今から60何年前の伊勢湾台風しかないんですよね。 それが近年、見てみますと、毎年のように、千年に一回と言われるような水害が全国各地で毎年起こっています。
台風10号が伊勢湾台風並みとか、かつてない規模とか言われながら九州地方や一部地区への被害程度で朝鮮半島へと抜けていきました。新型コロナウイルス感染症も今程度の感染被害で収束してくれて、インフルエンザの大流行と同等の感染症だったなんて後日談になることを祈って、その新型コロナウイルス感染症に対する市の姿勢をお伺いします。 1.新型コロナウイルス感染症とインフルエンザとの同時流行に備えた対策。
例えば私、宮川がとても怖く感じましたと言いましたが、私も年がいっていますので伊勢湾台風のときかな、宮川の西のところが氾濫して、すごい稲とかが全部大水でやられてしまったりとか、また上川が流れて当時の町長のおうちが流れていくのとか、そういうのを実際に見ている中で、そういう昔の話やなんかをきちんとつなげながらマップとかを作っていく必要があるのではないかということで、地区防災マップのことでお聞きしたんですが
当市におきましては、昭和34年の伊勢湾台風以来の大きな被害を受けた市内城下地域では、昨年11月に住民自治組織であります城下まちづくり未来会議から土屋市長へ、千曲川諏訪形堤防復旧に係る地元説明会の開催など13項目にわたる防災に関する要望書を提出いたしました。
で、美和ダムが完成して間もない昭和34年の伊勢湾台風、それから36年の梅雨前線豪雨、三六災、そして今話がありました昭和57年、58年と2年続いた台風による被害、さらに令和元年東日本台風、台風19号による出水、これで膨大な流木で湖面が埋まる状況となりまして、下流域の防災に大変大きな効果を発揮したというふうに感じております。
1959年、昭和34年、伊勢湾台風以来、行政主導の防災を続けてきました。行政がインフラを整備し、ハザードマップをつくり、避難所を設定してきました。これらが定着した結果、住民の防災に対する主体性が失われてしまいました。これからは防災を行政サービスから行政サポートへ転換することではないでしょうか。
しかし、仮に今回の19号の台風が、前線が停滞をしているところに昭和34年の伊勢湾台風のような西側北上コースを通っていれば、松川村も大変大きな被害が出た可能性が考えられます。 昭和28年9月の台風13号、昭和34年9月の台風7号、昭和44年8月の集中豪雨、昭和57年8月の台風10号、平成16年10月の台風23号など、これまでに自然災害を経験しております。
四賀地区町会連合会長の大澤さんも、1958年、昭和34年9月の近畿、東海を中心に受けた被害は全国に及び、死者、行方不明者約5,000人で最大となった伊勢湾台風を彷彿とさせる降り方であった。今でもよく覚えていると話されました。伊勢湾台風のときも橋が崩れたり、川が氾濫したりと大きな被害を受けたとの話は、地域でも多くの方たちによって今も語り継がれているところです。
近年、日本を襲うスーパー台風は、通常の台風と違って日本に接近、上陸しても勢力の衰えないもので、いわば伊勢湾台風のようなレベルのものが多くなっています。これは高気圧によってブロッキングされることと、日本近海の海水温が以上に高いことが原因だとされております。世界各国でも、地球温暖化による災害が多発しています。地球規模の新たな気候変動の時代に突入していると言っても過言ではありません。
これは、伊勢湾台風の1カ月前の昭和34年8月に、千曲川に戦後最大の被害をもたらした台風7号で記録した5.2メートルをも大きく上回っておりまして、国土交通省が統計を取り始めてから過去最高の水位となりました。 千曲市では、雨宮地区で千曲川堤防からの越水が初めて確認されたほか、埴生・屋代地区では、平和橋と千曲橋の間の霞提部分から、千曲川の水が大量に逆流し、約220ヘクタールが冠水しました。
須坂市では、昭和34年の台風15号、別名伊勢湾台風のあった年の台風7号とその15号伊勢湾台風で、市内のリンゴの木等が相当に倒れたことを私は覚えております。リンゴの木のみではなく、山の木々や町中の樹木にもかなりの被害がありました。 今回の停電も樹木の倒木によって電線や電信柱に損傷を与えたことが大きかったと言われています。
今19号台風では、昭和34年の伊勢湾台風以来の豪雨災害となり、総額で50億円を超える大きな被害が発生いたしました。私たちは、19号台風を教訓として捉え、市民生活における安全面の検証を行い、柔軟でかつ広い視野に立って、備えあれば憂いなしを基本に、防災対策を構築し、20年後、50年後を見据えた計画づくりが求められております。
この村を伊勢湾台風が直撃し、130名の犠牲者を出すという甚大な被害が発生しております。視察に行きましたとき、玄関庁舎前に海抜ゼロメートルと伊勢湾台風で浸水した1.95メートルが表示されたものを見ました。村の歴史の一端と防災に対する村の熱い思いを知る思いでした。 飛島村は、東南海地震による津波の高さを4メートルと想定して対策をとっております。
これは、災害対策基本法とか、そういったものはあるんですけれども、この災害対策基本法というのは、阪神淡路大震災のときにそういう許可を得ないで危ないものは直さなくてはいけないという反省から、そういった法律ができてから、伊勢湾台風のときに、できたということです。
上川の堤防強度について、当市でも昭和34年伊勢湾台風発生時において、上川堤防が決壊し、小和田地籍一帯に甚大な被害が生じた経緯がございます。 その後、上川堤防は左岸線において下流域から広瀬橋まで、右岸線においては鷹野橋約200メートル上流までのり面の土圧改良がされ、この間においては堤防幅は以前の倍となっております。
本県についても、ちょうど収穫間際のリンゴ、ブドウなどの果樹類、あるいは園芸施設に大きな被害が発生をして、原村においても昭和34年、紀伊半島に上陸いたしました東海地方から日本列島縦断し、死者5,000人を超す甚大な被害が発生した伊勢湾台風以来の台風ではないかというふうに思います。この伊勢湾台風では、ちょうど八ヶ岳山麓も同じような強風が吹き荒れまして、山麓の倒木はみんな倒れると。
翌昭和34年、伊勢湾台風でございますが、竹原、越、東笠原で堤防の決壊があったと。最近では昭和56年、昭和61年の水害でございます。昭和61年では、夜間瀬川の濁流が長野電鉄木島線の鉄橋を「く」の字に、橋脚を傾けてしまったというような大災害もございます。 いわゆる治水・利水といたしましても、本市についてはこの角間ダムの必要性は必要だという位置で考えております。 以上でございます。
本日、襲来する台風21号は、思い返せば56災害のときのバケツをひっくり返したような雨、あるいは昭和34年の7号台風、あるいは伊勢湾台風、あの強い風がこの須坂を再び襲うのではないかという不安もありますが、だからといって何も手を打たないわけにはまいりませんが、ここで避難場所等の4種類の情報に基づいてとるべき行動というものが今なされておりますし、この間の防災訓練の当日、今盛んにSTVが避難場所等についての
その結果、現在でも今このお盆の墓参りとは別に、新暦の8月1日にも、この地域ではお墓参りをする風習があるわけでございますけれども、近代以降では、1949年のキティ台風や1959年伊勢湾台風の被害を受けております。しかし、千曲川のたび重なる護岸工事の影響で、千曲川の本流の氾濫はなくなり、戌の満水のような大規模災害は発生がしなくなりました。
はじめに、9月1日は関東大震災が起こり、9月26日には伊勢湾台風、翌年、9月1日防災の日が制定されたのが57年前、9月10日東北豪雨鬼怒川決壊で大水害に見舞われたのは2年前、9月は防災を考える月です。 一方、今年の9月10日に、NHKスペシャル「スクープ 沖縄と核」というドキュメントが放送され、かつて沖縄は世界最大級の核拠点だったという衝撃の事実が伝えられました。